若々しく生きるとは・・・

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若々しく生きるとは・・・・

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常日頃、電車の中、職場の中において思っていたことがあった。

なぜ、男性は50過ぎると自分の身なりやスタイル、振る舞いに対して、無頓着になるのだろうか、といった疑問であった。

むろん女性においても生活の中で安定しすぎた結果、どうでもよいという感じの人はいるが、総じて男性のほうが自分の身だしなみやスタイル、髪の手入れなどに対する美意識が乏しい感がする。帰宅の際の電車の向かい側に座っている男性の姿を見ると、歴然である。もし万が一、この中の男性に恋するとしたら、可能だろうか。

何となくそんなことを考えて面々を見ると、疲れた表情の中には、家庭の重みがどっと肩に食い込んでいるかのようで、そのような対象となる人はおよそ見当たらない。

最も本人からは家庭に戻れば、愛する妻がいて、かわいい子がいる。そのようなおせっかいは結構とでも言われそうだが、もはや21世紀も20年が過ぎ、世の中はグローバルとなり、世界の果てまで一足飛びにゆける時代である。

昭和の働くことが生きがいの人間がもてはやされた時代は、とうに過去となった。

誰もが横並びに中流を目指して働くこと、趣味は仕事とか、生きがいと言っていた時代は、遠い過去に去ったのだ。

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50過ぎるまでは、少なくともパートナーを得るまでは、スマートで自信をみなぎらせていた時もあったはずだ。パートナーを得て満足してしまうと途端に、自分のことをおろそかにする人間となり果てるのはなぜだろうか。

当然人間である以上中身が勝負であることは充分承知している。中身がよければ外観はどうでもいいといった人も中にはいるのかもしれないが、わたくしはできうる限り、若さを保ちたい。そしてなにより、中身が本物であれば、それは表情や態度におのずと現れてくるものなのではないだろうか。

今日、美容皮膚科などといったところが盛況で、予約さえなかなか取れない状況であるようだ。時代、世代によって美意識は驚くほど変化し、世の中には新たな認識が広がっている。

自分のことを振りかえってみろと言われるかもしれない。幸い、わたくしは遅い子持ちであったこともあり、子供のために若い母親を演じることに徹した。

50過ぎても、いつでもかなり若く見られてきたことを、web上であるが遠慮なく言わせていいただく。たとえ家庭でのそのような状況がなくても、若くいること、上品とは言わないまでも品よくあること、好ましいセンス良い生活を心がけること、自分のできうる限り頭はいつも回転よくいたいことなどなど。常に自分にハンデを負わせてきた。

妻は夫であるパートナーが自信をもって生きていることを願うものだ。逆に夫であれば妻が常に美しくあれば喜ばしいことであろう。パートナー通しは互いに相手を思いやるものだ。金銭的に困らないは当然であるが、年齢に関係なく、均衡のとれたバランスの良いスタイルでいること、好ましい装いを身にまとうこと、そのようなことは金銭をかけなくても気持ちの持ち方でいくらでもできるものであるし、それぞれの一人の人間としての美意識に基づくものだからだ。

欧米を見てみればよいだろう。中年に至っても、見出し並みよく、かっこいい中年男性は日本人に比べるとはるかに多い。夫自身は妻に肩身の狭い思いをさせないこと、そして妻をエスコートする夫のマナーの良さに妻は一層尊敬の念を抱くのだ。

美しくいるということはメタボにならないだけではない。

昨今では髪の毛に対する様々な薬用育毛剤が出ているし、若々しい笑顔やしわ、しみ予防といった若さを保つための化粧品や洗顔料が目白押しで選ぶことが難しいほどだ。

高額でなくても自分に似合うスタイルはアパレル店ならいくらでもいいものを進めてくれる。何万も出さなくても購入できる時代なのだ。ハンサムといわなくても、うつくしいといわれなくても若々しいといわれることは誰にでも可能だ。

高齢者が30%を占める今の日本は、右を見ても左を見ても、高齢者が圧倒的に多くなり、美意識はどうでもいいような印象をもってしまうが、高齢でも加齢臭を抑えるとか、シャンプーを毎日使うとか、発毛剤を使うとか、髪の毛に気を使うことなど、絶対的な効果はともかく、使用によってはかなり見かけはよくなるし、そのほうが本人も周りも和やかになるものだ。

高齢者が多くなり、長生き人生となると一人身は、わびしく身に応えるようになる。たとえパートナーがいたとしても、だれでもいつかは一人になるだろう。

そんなとき、優しく笑顔で、うなづいてくれる身近な存在がいると、どれほどに心強いことだろうか。しかし、だれにでも、神は優しい存在を提供してはくれない。快適な印象を与える話し方、好感を抱かせる身だしなみ、清潔感や好印象をあたえる笑顔などは、若いころからの日々の積み重ねによって形作られると思う。

パートナーと別れた、一人になった、一緒に旅行してくれる人、誰かいないかといったところで、そう簡単に問屋は降ろさない。常日頃から自分自身を磨くこと、鍛えること、向上心を失わず前向きな人には、向こうから手を差し伸べてくれるものだ。

そういった人生を送りたい、また、そうでありたい。

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