ゴッドファーザー 愛のテーマ

年末年始にゴッドファーザーⅡ,Ⅲを録画して、今回何度も見直した。dTV でⅠ話を鑑賞した。映画上の評価100/100点、おすすめ度、ストーリー、設定、キャスト、演出すべて五つ星。
さすが、アメリカ国立フィルム登録簿に保存されるだけあって何度見ても飽きない。最も初めて見たわけではないが、見れば見るほど素晴らしい、のめりこんでしまう。鑑賞後はしばし感動を抑えきれなく放心状態だ。

日本ではやくざ映画の闘争劇は何度も映画化されていて話題となるが、劇場化するためのネタに枚挙にいとまがない。やくざに日頃縁のない人間から見ると、想像の難しい部分が多すぎるが、時おり組織間の闘争が報道されることから、日々命がけの生活をおくっているのだろうことは想像できる。平凡な市民には直接的な影響はさほどないと思う。

イタリア・シチリア島からの移民で構成されているマフィアの内情を時代とともに、流れの中で成り立ちを味わい深く鑑賞した。

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人間のこころには、野心や欲望。そしてひがみや妬み、優越感、または劣等感など。どうしても避けて通れない感情や思いがあるが、ひときわつ際立たせているのはやくざだからということではないだろう。

日頃、警察権力から目の敵にされながら、それを承知で行動している人間たちである。納得できるところもあるとは言わないが、当然気も荒くなるのだろうか。背に腹は代えられぬとはいえ、自分の思い通りにならないといとも簡単に寝首を掻く人間たちである。

かつてのイタリア・シチリアがそんな生活圏だとは思わない。日本でも日清、日露、太平洋戦争の時代を眺めると、悲惨で残酷で理不尽な話題は数えられないほどある。移民だからというのではないだろうが、家族の絆の強さ仲間意識もうかがえる。当然、演じる俳優の演技からも感動が伝わってくる。

Ⅰ話からⅢ話を通じてアルパチーノが輝きを放っていると思った。愛するものを守ろうとするあまり、真実を胸の奥に秘めて生きてゆかざるを得ない男の生き様は見るものによっては痛々しい。

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父である初代ドンが敵対する勢力によって瀕死の重傷を負うと、三男のマイケルは仇討を決行する。これまでのマイケルは一般市民で、学生時代を送り、第二次世界大戦では海兵隊に志願して功労を立てている。逃れるようにシチリアに逃亡して、潮時を待つことになるが、ここで土地の娘と結婚する。いっときの安らぎを求めたのだろうか。しかしマイケルにとって、どこへ行っても平安ではありえない。娘アポロニアは裏切り者によって自動車とともに吹っ飛んで爆死する。

数年後マイケルはニューヨークに戻り、学生時代の恋人ケイと再会して結婚して1男1女をもうける。

20世紀半ばは、女性の社会進出など望むべきもない時代である。女性の生き方はまた日本と大方似たような状況である。逆に男たちの生きざまはすさまじく常に命掛けだ。上等なスーツに身をまとい、身だしなみに極力注意を払い、相手を威嚇する。ファミリーを守るために常に死と隣り合わせだ。敵だとみなせば兄弟であろうと身内であろうと抹殺する。 

他人を殺めたら、当然報いを受けざるを得ないし敵も作ることになる。逃げおおせると思ってはいないだろうが、ドンともなると愛する家族が標的となることはいやでも想像できる。一人娘メアリーを失ったマイケルの嘆きはいかばかりだろうか。その瞬間、声さえ失うという嘆きをアルパチーノが見事に演じている。突然愛するものを失うということは、これほどにもつらいことなんだと知らされた。 Ⅰ話からⅢ話まで見ごたえのある、圧倒される作品であることは疑いようがない。

 

生き方いろいろⅡ 子育て、親の責任

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生き方いろいろⅡ

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子供は父と母の存在があって初めて誕生するがその過程は一様ではないようだ。昨今では誕生についてさえ選択肢はあるようだが、それについてはまた別の機会の話としよう。

不妊で悩む夫婦がいるし、体外受精をしたり、さらに事情があって別の女性に出産を依頼したする人さえいる。片や、希望していないのに妊娠して、産んだと同時に病院の前などに赤ん坊を捨てたりする人がいる。

子供の登場にはいろいろ親というべき立場の人にまつわる事情があるようだ。でも、第三者の立場で何の遠慮もなく、さらに無責任に言わせてもらえば、高額な治療代を払ってまで出産するよりも、親のない、行くあてのない子供の親になるという選択肢はどうなんだろうか。

子育てとは、一人の子供の性格や、こののちの人生をいかに生きるかということ、その他いろいろな角度から考えないとならないし、簡単に回答は出せないものだろうが、生まれたと同時に親を知らない子供は気の毒というしかない。

かといって無理をしてまで他人に出産してもらう人などのことを思うと、私的には子供はみんなかわいい、そこそこ幼児でも底抜けに愛らしいということを伝えたい。

スティーブ・ジョブスは里子として成長した話はあまりに有名だが、実の母親は誕生したとき大学院生で、母親自身が子育てを希望していなかった。さらに他方には子供がいなく引き取りたいというジョブスの親となる夫婦がいて、そこで健康に成長した。実の母親は手放すとき、なんとしても大学を出してほしいと希望したというが、引き取ったジョブス夫婦は余裕のある経済状況ではなかったが、その約束をなんとしても守った。そして、だれもがご存じの活躍をして51歳で世を去った。

他人と張り合ってよその子よりいい子であってほしいという気持ちはよくわかる。いずれ成長すればさらに優秀な子であってほしいと願う親がほとんどだ。

このジョブスような例はおそらくまれな例と言わざるを得ないだろうが実の子だってそれは同じではないか。父親が優秀なら子供もさらに優秀かといえば、そうでもないこともある。経済的に余裕があればいい教育を受けさせて、今後の人生に可能性を広げることができるというくらいだろう。

しかし、育てるのに必要なことは何かという究極的に必要な要点は、親子の間の血のつながり以上に、精神的な結びつきが重要なのではないかと思うのは私だけではないだろう。平たく言えば本物の愛情さえあれば、いい子が育ち、見勝手に育てたらそれなりにしかならない。

子供は親が何を望んでいるのかを知っているようだ、

子供はやっぱり天からの授かりものに違いない。

マイナンバーカードなんかいらない??

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マイナンバーカードⅡ

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新型コロナによるショックに、給付金さえ届かない。それぞれ国民が一様に心を閉ざしているかに見える。

聞いてみると、マイナンバーカードの普及率は20%を下回るという事だ。

私は几帳面なせいかかつての住基カードも、この度問題となっているマイナンバーカードも自治体から送ってくれば即座に登録している。むろん確定申告の際必要になるという事も言えるが、日本の国の中でこれほど行き渡っていないと聞いて驚いている。

私の不満は所得税等の不公平を言いたい。マイナンバーを提出していれば収入を隠すことなどできないが、登録していないとうまく所得隠しができてしまうではないかという事がまず一番の原因だ。

例えば親戚の会社にバイトした学生は、大手の会社でアルバイトした学生と所得税に違いがあってはならない。

国税庁のHPを利用して申告していると答えた人も、自分の財産がしられてしまうなどという事を言い訳にマイナンバーカードを登録していない人が居る。疑問をかんじないまま面倒くさいという事を原因として登録を先伸ばししているのか、する気もない人もいる。もはや何年も前に導入されているはずなのに、なぜこれほどに行き渡っていないのか。総務省の責任も否めない。

私の場合で言えば、5月の最終週には給付金は入金していた。むろんマイナンバーカードでネット使用の結果だ。政府の言葉通りに直後に国民に入金ができていたら、国民の消費意欲はもっとましたかもしれない。この差は小さくないと思う。

日本という国は不思議な国だ。戦後の飛躍は誰もが認めるところなのに、最近の停滞はどうしたものだろう。戦後に体をはっていたころは、アメリカに次ぐ世界第2位の経済大国を維持していたのに、ITの世界になったとたん世界の流れに乗ってゆけなくなっている。中国をはじめ台湾や韓国が世界にIT大国として目覚ましい活躍をしているのをしり目に、なぜ日本は置いてきぼりを食っているのだろうか。

憲法を見ても日本は特殊だ。いい憲法だ、確かにそう思う。しかし国民は平話ボケをしているのではないだろうかと思うほど、世界の動きにも鈍感で日本国として内向き過ぎないだろうか。

それでいいならいい。北朝鮮からミサイルが飛んできても、中国が日米関係にひずみを入れようとしていようと、アメリカが何とかしてくれるだろうと言いつつ、安保には絶対に反対といい、憲法は70年以上後生大事に守っている。きっと大丈夫だろうと安穏としていられるのならそれでいい。

とにかく日本人にはハングリー精神が足りないと思うのだ。そして一度到達した功績を、後生大事に抱きつつ、中国や北朝鮮やら韓国がしのぎを削っている非情な世界からは目をそむけながら、彼らの後ろについてゆくのだろうか。

スティーブ・ジョブスは「愚かであれ、ハングリーであれ」といった。今の日本人に一番必要な言葉のような気がする。

 

若々しく生きるとは・・・

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若々しく生きるとは・・・・

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常日頃、電車の中、職場の中において思っていたことがあった。

なぜ、男性は50過ぎると自分の身なりやスタイル、振る舞いに対して、無頓着になるのだろうか、といった疑問であった。

むろん女性においても生活の中で安定しすぎた結果、どうでもよいという感じの人はいるが、総じて男性のほうが自分の身だしなみやスタイル、髪の手入れなどに対する美意識が乏しい感がする。帰宅の際の電車の向かい側に座っている男性の姿を見ると、歴然である。もし万が一、この中の男性に恋するとしたら、可能だろうか。

何となくそんなことを考えて面々を見ると、疲れた表情の中には、家庭の重みがどっと肩に食い込んでいるかのようで、そのような対象となる人はおよそ見当たらない。

最も本人からは家庭に戻れば、愛する妻がいて、かわいい子がいる。そのようなおせっかいは結構とでも言われそうだが、もはや21世紀も20年が過ぎ、世の中はグローバルとなり、世界の果てまで一足飛びにゆける時代である。

昭和の働くことが生きがいの人間がもてはやされた時代は、とうに過去となった。

誰もが横並びに中流を目指して働くこと、趣味は仕事とか、生きがいと言っていた時代は、遠い過去に去ったのだ。

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50過ぎるまでは、少なくともパートナーを得るまでは、スマートで自信をみなぎらせていた時もあったはずだ。パートナーを得て満足してしまうと途端に、自分のことをおろそかにする人間となり果てるのはなぜだろうか。

当然人間である以上中身が勝負であることは充分承知している。中身がよければ外観はどうでもいいといった人も中にはいるのかもしれないが、わたくしはできうる限り、若さを保ちたい。そしてなにより、中身が本物であれば、それは表情や態度におのずと現れてくるものなのではないだろうか。

今日、美容皮膚科などといったところが盛況で、予約さえなかなか取れない状況であるようだ。時代、世代によって美意識は驚くほど変化し、世の中には新たな認識が広がっている。

自分のことを振りかえってみろと言われるかもしれない。幸い、わたくしは遅い子持ちであったこともあり、子供のために若い母親を演じることに徹した。

50過ぎても、いつでもかなり若く見られてきたことを、web上であるが遠慮なく言わせていいただく。たとえ家庭でのそのような状況がなくても、若くいること、上品とは言わないまでも品よくあること、好ましいセンス良い生活を心がけること、自分のできうる限り頭はいつも回転よくいたいことなどなど。常に自分にハンデを負わせてきた。

妻は夫であるパートナーが自信をもって生きていることを願うものだ。逆に夫であれば妻が常に美しくあれば喜ばしいことであろう。パートナー通しは互いに相手を思いやるものだ。金銭的に困らないは当然であるが、年齢に関係なく、均衡のとれたバランスの良いスタイルでいること、好ましい装いを身にまとうこと、そのようなことは金銭をかけなくても気持ちの持ち方でいくらでもできるものであるし、それぞれの一人の人間としての美意識に基づくものだからだ。

欧米を見てみればよいだろう。中年に至っても、見出し並みよく、かっこいい中年男性は日本人に比べるとはるかに多い。夫自身は妻に肩身の狭い思いをさせないこと、そして妻をエスコートする夫のマナーの良さに妻は一層尊敬の念を抱くのだ。

美しくいるということはメタボにならないだけではない。

昨今では髪の毛に対する様々な薬用育毛剤が出ているし、若々しい笑顔やしわ、しみ予防といった若さを保つための化粧品や洗顔料が目白押しで選ぶことが難しいほどだ。

高額でなくても自分に似合うスタイルはアパレル店ならいくらでもいいものを進めてくれる。何万も出さなくても購入できる時代なのだ。ハンサムといわなくても、うつくしいといわれなくても若々しいといわれることは誰にでも可能だ。

高齢者が30%を占める今の日本は、右を見ても左を見ても、高齢者が圧倒的に多くなり、美意識はどうでもいいような印象をもってしまうが、高齢でも加齢臭を抑えるとか、シャンプーを毎日使うとか、発毛剤を使うとか、髪の毛に気を使うことなど、絶対的な効果はともかく、使用によってはかなり見かけはよくなるし、そのほうが本人も周りも和やかになるものだ。

高齢者が多くなり、長生き人生となると一人身は、わびしく身に応えるようになる。たとえパートナーがいたとしても、だれでもいつかは一人になるだろう。

そんなとき、優しく笑顔で、うなづいてくれる身近な存在がいると、どれほどに心強いことだろうか。しかし、だれにでも、神は優しい存在を提供してはくれない。快適な印象を与える話し方、好感を抱かせる身だしなみ、清潔感や好印象をあたえる笑顔などは、若いころからの日々の積み重ねによって形作られると思う。

パートナーと別れた、一人になった、一緒に旅行してくれる人、誰かいないかといったところで、そう簡単に問屋は降ろさない。常日頃から自分自身を磨くこと、鍛えること、向上心を失わず前向きな人には、向こうから手を差し伸べてくれるものだ。

そういった人生を送りたい、また、そうでありたい。

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文鳥のいる生活

文鳥のいる生活

 
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文鳥のモモちゃんの爪切りをしてあげました。私のセーターの上にとまったとき、モモちゃんのつめが編み目に食い込んでセーターの網目は壊れてしまいます。

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そこでモモちゃんのつめを切ることにしたのです。検索によると鳥の爪は先のほうは血液が流れていないため、痛みはかんじないとのことです。
最初の爪は問題なく切れましたが、モモちゃんも怖かったと見え、爪切りを見るだけで逃げ出そうとします。でも、セーターがだめになる!そう思って心を鬼にしてモモちゃんに向かいました。二本目、三本目モモちゃんは嫌がって私の手から逃げようとします。
いたくないでしょう?
とか言っても駄目です。とうとう手から離れて、もんどりうって下に落っこちてしまいました。小鳥なので、想像するほど痛みは感じていないだろうと思いますが、それでも足は直接地面にたたきつけられると、おそらく痛いんでしょうね。
脚の爪は4本、両足で8本。ようやく切り終えたころ、モモちゃんの心臓はきっと早鐘を打っていることでしょう。人間だって太い注射を見たら泣き出す人はいるでしょう?モモちゃんのつらい思いは十分伝わってきます。

モモちゃんは昨年11月の終わりころ餌付けが終わって一人でお留守番ができるようになったころ、私のもとにやってきた、まだ赤ちゃんの文鳥です。
ちいさなゲージが全世界で、そのほかは一切知りません。食事はおなかがすけば食べ、水も飲みますが、世の中にもっとおいしいものがあるだろうことは知りません。見える景色もゲージからみる部屋の中だけです。
日がな一日お留守番をして、夜になると毛布でゲージに囲いをされた中で眠りにつきます。

朝出がけには、「モモちゃん行ってくるね」、帰えると「モモちゃんただいま」。
それだけではあまりにかわいそうになって、日中の一時間ほど、手の中で甘えさせますが、モモちゃんは何と思っているのでしょう。ゲージのなかがいいと思っているのか、私の手が餌付けをしたママの記憶なら、ママだと思っているのか、わかりません。
この頃は寒いのでヒーターを入れてあげました。ほんわかとした暖気が伝わってきます。夜は毛布でくるんだゲージの中で眠ります。
朝になって私が寝坊すると、「チッ、チッ、チッ」と鳴いて目覚めを促します。朝だもの、毛布を早く取ってくれということでしょうね。

この頃ようやく気付きましたが、モモちゃんは飛べません。越してきたころ、1.2回軽く飛んだことがありましたが、最近は全く飛んだのをみることはありません。鳥なのに・・・
そう思ってみると虚弱体質なのか、通常より細く見えてきます。「モモちゃん、たくさん食べてね」そう言いながらえさを与えますが、一気に大きくはなりません。羽も小さめに見えてきて、このまま生涯飛べないとなると、文鳥としてどうなの?と考えたりしています。

よその文鳥さんの記事を読むと、2年経過後に自然に飛べるようになったなどと書かれていますが、できるだけ早く、自由に部屋の中を飛んでほしいものです。

よく小学校時代に鉄棒が苦手な子が、逆上がりが何度やってもできなくて特訓を受けていたことを記憶していますが、おそらくそんなことかもしれません。鉄棒が苦手な子は、鉄棒が怖いんでしょうね。自らブレーキをかけているのではないんでしょうか。モモちゃんの場合は飛ぶ必要がない!そう思っているのではないか?
そう思ったわたくしはその日から、空中でモモちゃんを手放してみることにしました。やっぱり、下まで落っこちてしまいますが、そのうちもしかしたらと飛べるようになるかもしれない・・

だって、鳥だもの。人が歩くように魚が水の中を泳ぐように、空を飛ぶのが鳥だもの。生きる勇気がきっと出ると信じます。

ある女との出会い(人生の理不尽を乗り越えて)

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ある女との出会い

 
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 出会いはもう30年近く前になります。
 母子家庭で家賃の支払いさえ大変な出費で、毎月頭を抱える日々でした。
何回も応募した挙句、このほどようやく賃貸契約がきまりました。
初回の支払いは5,000円でした。万歳やった!
 そう思って移り込んだ住まいは都営住宅の一室でした。
 少学校1年生の子供と二人、これからの生活に余裕ができることだろうことに、ほっとする思いでした。

 しかし、左右を見ると、家賃としては恵まれた環境に住んでいるのは、決して苦労している風な人々ではありません。
が、あんまり深く考えるでもなく、住民となりました。


 さて、ここから私の思い出となります。
 一軒おいて右隣に、私より年長の50歳くらいの女性(Tさん)がいて、様々なことを教えてくれました。この住宅に入るとき何をしたらいいとか、となり近所の付き合いはこうするとよいとか、どのような人がいるのかまで丁寧に教えてくれました。
 世帯数40の中に入って、仕事をしている私は覚えきれないほどいろんな情報がありましたが、ほとんどTさんより教えていただいたことでした。それは丁寧に教えてくれました。

 付き合いが深まるにつれ Tさんが一人世帯であることを知り、疑問で仕方がありませんでしたが、いらぬ詮索はしないと思い、聞くことはありませんでした。
都営住宅の規則で、同居する家族が必要であることは知っていたので、部屋に招かれると、旦那さんはなくなったのかななど思ってお位牌を探したりしました。
 整然とした部屋の中は結構難しそうな書籍がいくつか並んでいます。
ここでも、私は口を開くことなく終えました。何か事情があるようだと思いつつ、その同時の私には忙しく日々を送る生活が待っています。
 ほとんどの人が夫婦、兄弟、親子で住まい中で、たった一人でいることにもっと、関心を寄せてよかったと今では後悔しています。知ったらもっと親身になってあげられたかもしれない・・・

 そんな中に多少なじんだころ、聞こえてきたのは、かつて【あっちの男と、こっちの女がくっついた・・・】そんな興味もない風聞でした。
『だって、ここは世帯持ちしかいないのに・・』私の常識はその程度にしかありません。
 夫婦世帯が中心の団地で、あっちの男と、こっちの女がくっつく?
私には理解の外でした。

 ずっと後Tさんも亡くなった後ですが、住宅の中でも親しくする人が増えて、ビールを持って飲みに出かける程のひともいました。
 その人から聞いたのは『Tさんの亭主はハンサムだったよ』そうなんだ!。やはり離婚したんだ・・・
 ひとにはいろんな事情があるでしょうから、ましてや夫婦となればいい時ばかりでなく、きわどい対立が起こることもあるでしょう???
 しかし、ハンサムだったというその飲み仲間の言葉は言葉の中に悔しさが満ち満ちていました。
 男はTさんのご亭主、では、こっちの女は居ずらくなって、この団地を去っていったんだろう。
 私は勝手に想像をしていたものです。

 かなり以前からですが、私は近所の内科に日参するようになっていました。目を酷使する仕事のため、肩こりがひどくマッサージ、針に通う傍ら、内科医で胃腸薬までもらっていました。ある日内科医が大きな声で受付に『おい、Tさんに電話してくれ!』日参している中で数回そんなコトに出会いました。

 亡くなってから内科医に尋ねました。『Tさんはなんだっんですか?』
内科医は言いました『Tさんは自殺したんだよ。』団地の中では誰より親しいはずのTさんのことを私はあまりに知らな過ぎたのです。

 Tさんのすでに亡くなって数年後のある日、団地の掃除をする順番が回ってきたとき、ある男性が近づいてきて、『うちなど、仮面夫婦になってしまった・・・』という一言

 思わず手にした清掃道具を落としそうになりながら、『こっちの女がある男の妻』だと知ったのです。そして、今もなおこの住宅に住まっている???
 知らない顔ではないのです。「あの人が不倫の相手、そしてTさんの離婚」・・・
大変だ!!!

 くっついたとは明らかに不倫を指す言葉でしょうから、何事もなく住み続けていることが私には理解することができませんでした。
 それを知った当時はTさんは亡くなっていたので、衝撃と同時にその女に対する抵抗感はかなり強くありましたが、それ以上には考えるのはひとまず辞めました。

 離婚して、くっついた女が今もいる共同住宅、実は玄関先ならTさんの部屋まで数歩で行ける距離・・・
 Tさんはどんな思いでその後離婚したのち、亡くなるまでの20年を過ごしていたのでしょうか。
 じぶんの亭主は居なくなった、家庭は崩壊した。
 仮面夫婦と言いながら、今もなお都営住宅の恩恵を被りながら、住まい続ける不倫女とその夫
 私ならどうするか?!

 Tさんは心の強い人だったとおもいます。青天の霹靂で突然降ってきた離婚劇。
 その渦中、3軒隣り合わせには災いをもたらした女が住んでいるのです。Tさんはホテルに勤めて自分の生活を維持してきたようです。
 時々池袋の改札で彼女と出会いました。私も帰宅途中だったのです。『池袋のデパートでないとおいしいお肉が買えないのよ。』そうか・・いいものを使っているのね。おめでたく私はその言葉をまるで100%信じておりました。

 Tさんとはその後も何度も改札で会いました。サンシャイン通りでも歩いている彼女に出会い、お茶をしたこともありました。しかし、池袋でもしかしたら、ホテルの仕事は早く終業するので、アルバイトでもしていたのかもしれない。そんなことを考えていました。

 Tさんは通常の感性の持ち主でした。
 私とTさんはかなり信頼しあい、ペットの犬の餌やりをお願いする程の交流をしておりました。鍵を預け、えさをやってもらい、さらに散歩まで頼んだりしていました。Tさんはむしろ喜んで、嬉々として散歩をしてくれていたと思います。
 長く生活していたら、不満はあり、悪口の一つや二つは出てくるのでしょうが、一切そんなことは言う人ではありませんでした。私が、それ以上深く考えることもなく終わっていたのは、彼女が他人の悪口を言うことがなかったからです。何事もうまくやっているんだろう、勝手にそう思っていました。
 ただ、私と散歩に出た途中、手に持ったごみを、風の中にまき散らしたときは公共心のある人なのに、どうしたんだろうか?
 いくらか疑問を持ちました。深く考えない!そう思って否定しました。

 さらに団地内で猫の餌やりが問題視され、高い階から猫の餌をなげることは迷惑行為とされたとき、Tさんの餌やりを目撃してしまいました。
 このような行為は前も見たことがあります。Tさんの心の抵抗であったのかもしれません。

 無言でTさんを見ると、後で知ったことですが、おそらく団地内の評判である不倫と離婚問題を私がうわさで聞き知ったであろうことを感じ、私を避けるようになったのです。実は私は当時全く何も知らない人でした。

 その後、ガンで治療中の彼女は水道橋の病院へ入院します。
 見舞いにもゆきましたが、結局帰らぬ人となり、その後の詳しい状況さえ知らぬまま数年を過ごします。

 Tさんが逝ってから、新しい人が元の部屋に住んで10年近くが経過します。
 一番親しい人だったTさんの、私は想い出を認めることにしました。

 むろん、どのような女に誘惑されても、それに乗らなければいいのです。誘惑され飲み込まれたTさんの夫の行動が褒められることではないことは百も承知です。

 今振り返ると、亭主にも裏切られた彼女は、どこかの優しい男性と会っていたのかもしれません。それもなかったら、どうして普通に暮らしてゆくことができるでしょうか。
 人には心を寄せてくれる、傷ついたこころを癒してくれるやさしさが必要です。乾いた心を潤してくれたどこかのどなたかがきっといたことでしょう。と信じます。
 そう思えたころ、胸のつかえがいくらかとれてきました。Tさんはきっと自分らしい生き方を見つけていたんだ・・・

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ある日記より ドライバー・パイロットの不祥事etc  

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ある日記より

 
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ドライバー、パイロットの不祥事

朝の通勤バスのドライバーが突然「おなかが痛いのでトイレに行ってきます」と言って停車してバスを離れた。ドアは開け放したまま、小寒い風が入ってくる。小用を済ませたろうドライバーは戻ってくると、「申し訳ない、申し訳ない・・・」と言いながら、発車した。終着駅につく寸前には急ブレーキをかけたため、中の乗客の立った人はそう倒れとなる。私は座っていたが、足や手も思いがけない打撲傷となった。最近、とみに聞こえてくるドライバー、パイロットの不祥事とは、こんな些細なことの行き着くところかもしれない。

 

サミエル・ウルマンの青春

わたしたちは似たもの通しに違いない・・サミエル・ウルマンの青春に収められた”You&Me”の一節は素敵だ。

似たもの通しといえるような人が人生に何人で会えるか。心を開いて話し合える人間が何人くらいで会えるか。考えてみれば、人は世の中を動き生きているだけで、誰かに出会う。出会える人は自分にとって良い人か否か。都合が悪いというのでなく、本心をさらけ出し、本音で話し合える人かどうか。

 

アドラーの嫌われる勇気

人はみな自分の気持ちのゆくところに従って生きている。他人の機嫌を取るために生きているのではない。人の目を気にして生きているとすると、自分のいき方はできない。宇宙で生きるしかない。人を気にしながら生きるということは、他人の人生を生きるということだ。人はみな自分の人生を生きるのだから、嫌われてもよいと思うこと!! 他人もまた、本人の思うところに生きているのだから、思うようにならないことを怒ってはいけない。

「他者の関心ごと」に関心を寄せる。他者の目で見て、他者の耳で聞き、他者の心で感じること。尊敬とはその人がその人らしく成長発展していけるよう気遣うことである。尊敬とは人間の姿をありのままに見て、そのひとが唯一無二の存在であることを知る能力のことである。水辺まで連れてゆくことはできても、水を飲ませることはできない。この世界には、いかなる権力者であろうとも強要しえないものが二つある「尊敬」と「愛」である。

 

カルロスゴーン氏の過少申告加算税

世の中のショックは大きい。重加算税4割のせ。税にかかわりがないとすぐにはこんな言葉は出てこない。ゴーン氏もきっとショックでしょうね。自分の価値ある人生が、残り少なくなってきたところで地に落ちた感ありだね。裁判で推定無罪となったとしても、逮捕され容疑者扱いされたことに変わりはない。 日本のこと少し舐めていた感じよね。東京拘置所でスイートルームにいる環境で生活してほしくないよね。

 

スティーブ・ジョブス

誰も死にたくありません。たとえ天国に行きたいと願う人でも、そこへ行くために死にたいとは思いませんね。何より大切なことは自分の心や直感に従う勇気を持つことです。あなたの心や直感は、自分が何をしたいのかもう知っているはず。
・もし、今日が人生最後の日だとしたら、今やっていることは本当に自分のやりたいことだろうか。。
・その人となりは、その人のヒーローがだれかで大体わかる。
・つづけられたのは自分がやることを愛していたからだ。
・毎日を人生最後の日だと思って生きればいつか必ずその日は来るだろう。

 

ボヘミアン・ラプソディ

フレディ・マーキュリーの生きざまは燃えつきだ。常に全身全力で生きてきた感じがする。常に、自分のやりたいことを優先し、実行する。むろん裏付けられた自信がないとできない。できるものは幸せ者といえるだろう。しかし、映画はいかにもカバーという感じ。

 

HNKBS 欲望の資本主義

私たちはなぜこんな世界で生きているのだろう。人の偉大さを図る一つの尺度がその最善のものが苦悩する能力であるなら、偉大な代表者たちがあらゆる世界から選択した挙句の世の中であるのだろうか。為替レートはもういらない時期に来ている。たくましくしなやかに、ビットコインのように為替の必要のない経済価値をにした金融市場は求められて自然なことかもしれない。無意識をコントロールすること。

何かを買うとき欲望が何かを手に入れたいとサインを出している。そうなるように人は進化してきた。例えば、「お金」と口にするだけで、あなたの体には心理的な変化が生じる。電流が走り反応してしまうのだ。冷静でいられなくなるのだ。あなたはお金を使っているようで、実はあなたはお金に使われているのだ。

いつもおかねや欲望が頭の中にあるとしたら、あなたの脳は絶えず思考回路を繋ぎ変えていることになる。ウォール街ではもっともっととお金を求める。不安定な将来へ備えるためだ。持つお金が多ければ多いほど将来は安心だと感じる。それで人々は過剰に蓄財に走る。そして貯蓄に走ると社会は恐慌が起きる。世の中は恐怖と恐慌からできている。だからもっともっととなってしまう。お金が道具ではなく、目的になってしまう。お金はあらゆるものと交換可能であるから、いつの間にかたくわえることがよろこびとなってしまう。目的と手段が逆転したらお金の奴隷になる。いつしか人はお金の奴隷となる。手の届かないものへのあこがれに、いつもととらわれてしまう、人々の心の底にある性癖をコントロールすることこそ、資本主義のカギだ。

                                        大恐慌

失業を解消するには、民間に任せていては解決しない。政府が最上にある金融機関に投資する、国が介入し金利を引き下げる必要がある。企業は借入、設備投資する。合理的判断だけでなく法律的な投資を左右するのは、人々の理屈を超えた活動だと考えて・・・・企業の電気ショックのような活性化策が必要。 ケインズ=投機は企業活動の堅実な流れに浮かぶ泡ならば無害かもしれない。しかし、投機の渦巻きに翻弄されてしまうようでは、ことは重大な局面を迎える。

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別れにも意味 復縁ドッグ

焦ってはいけない!! すべてつながっているのです。
回り道したっていいのです。
むしろ、道は一直線に続いてはいないものです。
右に行ったり左に行ったり、また右に行ったり時にはおなじ道を歩いていたり、道に迷ったり・・・ 
みんな一直線に進みたいと思っていますが、曲がり曲がり進んだ道こそが最短の道なんです。
別れにも意味があったのです。

 

劣等感

理想の自分と今の自分を比較したときに生じる劣等感 
劣等感は持っていい。でないと努力はできないから。
満足した人に成長はありません。
不満足だから努力ができるのです。
今まで見て見ぬふりをしてきた自分、長年保留してきた課題を見つけること。

 

若さ

「もう若くはない、この年だから」
でも、「今日が自分の人生で一番若い日」
『幸運』は、「たまたま、ランダムに起こった」ように見えるが、小さな積み重ねがあってこそ、その人に起きるもの。
大せつなことは「一歩づつ進む」こと。一歩でもすすめたら、そのことを喜ぼう。

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歴史

歴史とは時代の権力者によって改ざんされ続ける巨大な物語である。
個人もまた同じ。あなたの「今」が過去を決めている。子供は知らない命の価値を、他者の痛みを。
「信用」とは相手のことを条件付きで信じること。
「信頼」とは信じるにあたって一切の条件を付けないこと。仕事は信用、交友の関係は信頼である。

 

恋愛下手を治す

①マイナス思考をやめる
初めて会う人は相手も緊張をしている。
過去の恋の失敗は、次の恋の糧となる。
恋愛に苦手意識があるのは、その分真剣に考えているから。
「相手に嫌われたくない」「いやな思いをさせたくない」と思う分丁寧に、やさしく接することができるはず。

②自分を知る
恋愛下手はまじめな人が多い。
誠意がある。
安心要素が多い。おそらく浮気はしないでしょう。
手練手管で器用に口説くことはしないでしょう。
本来 人に有る我、我がぶつかれば衝突します。我をすてるのは純情(?)で、恋愛下手な人です、無償に近い愛情で相手と対せるのがあなたです。

メンタルを強くする方法 弱い人
①イレギュラーなことに対応できない
②何事も曖昧にできない
③失敗や負けを気にする
④気持ちが不安定になる
⑤プレッシャーを感じやすい
⑥小さなことを大きく考えがち
⑦リスクを恐れる

解決法
①場数を踏む。
②.思考と感情を分けて考える。「感情」は代えることは難しい。「認知」は代えることができる
「中途半端でいい」くらいの思考で・・
④変化を恐れない
「自信」を作るのは「継続」だけ

いざとなったら手放す

やるだけのことをやってもうまくゆかないとき“手放そう“・・
とことんやって限界がきて手放す。するとどうなったか?落ちた先は地獄だと勘違いしていたのだ。
ネガティブで、どんなに頑張ってもダメなものはダメ。ダメと終わりがあるものだ。
そして終わりがあれが始まりもある。
どうせなら一度しかない人生、積極的に「始まり」に向かって前に進む選択肢もあり。

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